抽象 -毕业证书样本

「抽象」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 抽象とは

2025-01-12

anond:20250112120158

いつかふと抽象数学とか超弦理論とかがはてな匿名ダイアリーに現れなくなった時はお前の冥福を祈るよ

なんか、つまんねー話題ばっかりだな

もっと明るい話題ないの?抽象数学とか超弦理論とかさぁ

anond:20250112002349

抽象的な幸せという概念を具体化して要件化して実装する

2025-01-11

ある芸人がさ、Xはおしまいだとか言ってんのよ

で、最近はThreadsもおしまいになりそうだとか言ってんの

インスタでリアルが充実した奴が使うからThreadsのほうが良いかと思った、とか言ってんの

あのさぁ、俺みたいにリアルが充実してない、頭脳だけの人間が、テックとか数学とか語るからSNS面白いんだろ?

リア充が「ピロピローン、今日ご飯はこれでーす」「ピロピローン、私の水着姿を見て!ケツが可愛いでしょ!」「ピロピローン、自撮りしましたー!かわいい顔でしょ!」なんて写真をアップしてもつまらねーんだよボケ

もっとさぁ、抽象数学とか超弦理論とかないの?

anond:20250111054637

たとえばあなた風邪をひいていて「りんごしか食べられない」状態だったとしましょう。なので林檎を頼むとしましょう。その人はいもの店に林檎がなかったりするとそのまま帰ってきます

理由としては「いつもの店(こだわり)でしか買わない」「林檎を買ってきてとしかいわれてない」から、他のものは買わなかった(こだわり)

この手のクソババアはリンゴ以外のモノ買ってきたら無駄遣いすんなって文句うからタチ悪いんだよなあ。

そもそもこれはこだわりじゃなくて指示の情報量不足だろ。

風邪ひいた。りんご風邪に合いそうな食べ物買ってきて。」

って言えば済む。「風邪に合いそうな」みたいな抽象的な言い方もダメだけどな、「プリンスポーツドリンク買ってきて」みたいに言わないと。

結局のところ相手に甘えてんだよね。勝手に察して買ってきてくれるだろうっていう甘え。言わなきゃわかんねーことばかりなのに相手超能力こちらの意図一言一句抜かりなく汲み取ってくれると期待して落胆してストレス溜めてやがんの。俺はお前のママじゃねーっつうの。

この手の甘えから抜け切れてない幼児結婚すると自宅に墓穴を掘り続ける生活になるんだよ。(ちなこの手の甘えが残ったクソバカが職場上司になるとクソほどストレスが溜まる)

大抵の場合相手が期待外れの行動をするのには自分問題があるの。

年々、頭がおかしくなってきてる

自分は、他人よりも変わってると思うことが多かった

良い意味でもそう思っていたし、

もちろん悪い意味でも

自殺企図を起こして、ICUに運ばれてから

もう五年も経ちそうだ

あのときも強烈に死にたかった

いまも変わらずに強烈に死にたい

服薬で三度、飛び降りで一度、

ICUには三階行ったし、腰骨だって全部折れた

生きてて何が楽しいのかも、

よくわからない

趣味があるだけで、生きなきゃいけない命を、

抱えてるのが、とてもじゃないけど

つらすぎる

こんな思いをしなきゃいけないのかと思う

ICUに運ばれてから、やはり薬の量は増えた

薬の量が増え、三年ほど経って(つまりは二年前あたり)から

単純な思考に異常を感じるようになった

私はあまり怒る人間ではなかった

人に危害を加える人間でもなかった

なのに、

イライラするのが止まらなくなったり

人によくないことをしてしまった

悪巧みをして人によくないことをしたのではない

好奇心で、人に根性焼きをした

なぜか? 愛してる人に付けられる「残る跡」は、

きっと特別ものになるだろうと、感じていたからだ

狂っている

倫理とかの以前に、興味がおかしかった

謝ってどうこうなるものじゃない

いまも、よくないことをしている

やめられない

薬がやめられないんだ

助けて

薬局に売ってる合法のものだけど、

もうお金もないから、盗むようになった

どうやったら良いか分かるようになってきたせいで、

盗み癖がついた

お金なんて、ないか

更生できるものならしたいけど、

自分は、まともに思考していて

その結論として〈自殺〉を選んだ、

その自分が好きだった

から

その自分が居ないっていうのが、

とっても悲しい

死にたくなると、つらい

けど、安心する

まだいたんだって思う

つらくて苦しい自分が、ありがたくて

生きてるんだって思える

君はまだ、生きてるんだねって、思う

それでも

自殺できるものなら、

早く死にたいと思う

蕩尽を覚えてしまった自分が、

生きていてそれに再度埋もれないなんて、

考えられないか

もう自分が好きな自分は、

消えていったんだ

頭が、脳の前側の少し上が、

ピリピリするのを感じる

最近オーバードーズをすると、

このへんがピリピリするようになった

じんじんともまた違った感覚

そして身体のピクつきが止まらなくなる

オーバードーズをしていなくても、

頭を安定させようと

座っている間も、

視界が揺れるのは、

頭が動いているからだと分かった

もうこの身体ダメなんだ

私はダメなんだ

私は自分のことが賢いと思っていた

人より話が上手で、

抽象的なものごとを考えられて

何よりも思索にふけることが好きだった

のに

それもできなくなった

人より話が上手だから、たくさんの人が近くにいた

でも私はみんなのことが、怖くなって

逃げ出す

面倒、怖い、つらいと思って

自分から他人から消えていった

いまは私のことを大事に思っている人しか、周りにいない

抽象的なものごとは、

いまでも考えている、けれど

思索の中で見つけた閃きのようなもので、

感動にあふれる

あの感覚は、

まったくなくなった

毎日スリリングだったのに、

こんな続いていくだけの苦痛

つらい、よ

早く死にたい

年々、頭がおかしくなってきてる

自分は、他人よりも変わってると思うことが多かった

良い意味でもそう思っていたし、

もちろん悪い意味でも

自殺企図を起こして、ICUに運ばれてから

もう五年も経ちそうだ

あのときも強烈に死にたかった

いまも変わらずに強烈に死にたい

服薬で三度、飛び降りで一度、

ICUには三階行ったし、腰骨だって全部折れた

生きてて何が楽しいのかも、

よくわからない

趣味があるだけで、生きなきゃいけない命を、

抱えてるのが、とてもじゃないけど

つらすぎる

こんな思いをしなきゃいけないのかと思う

ICUに運ばれてから、やはり薬の量は増えた

薬の量が増え、三年ほど経って(つまりは二年前あたり)から

単純な思考に異常を感じるようになった

私はあまり怒る人間ではなかった

人に危害を加える人間でもなかった

なのに、

イライラするのが止まらなくなったり

人によくないことをしてしまった

悪巧みをして人によくないことをしたのではない

好奇心で、人に根性焼きをした

なぜか? 愛してる人に付けられる「残る跡」は、

きっと特別ものになるだろうと、感じていたからだ

狂っている

倫理とかの以前に、興味がおかしかった

謝ってどうこうなるものじゃない

いまも、よくないことをしている

やめられない

薬がやめられないんだ

助けて

薬局に売ってる合法のものだけど、

もうお金もないから、盗むようになった

どうやったら良いか分かるようになってきたせいで、

盗み癖がついた

お金なんて、ないか

更生できるものならしたいけど、

自分は、まともに思考していて

その結論として〈自殺〉を選んだ、

その自分が好きだった

から

その自分が居ないっていうのが、

とっても悲しい

死にたくなると、つらい

けど、安心する

まだいたんだって思う

つらくて苦しい自分が、ありがたくて

生きてるんだって思える

君はまだ、生きてるんだねって、思う

それでも

自殺できるものなら、

早く死にたいと思う

蕩尽を覚えてしまった自分が、

生きていてそれに再度埋もれないなんて、

考えられないか

もう自分が好きな自分は、

消えていったんだ

頭が、脳の前側の少し上が、

ピリピリするのを感じる

最近オーバードーズをすると、

このへんがピリピリするようになった

じんじんともまた違った感覚

そして身体のピクつきが止まらなくなる

オーバードーズをしていなくても、

頭を安定させようと

座っている間も、

視界が揺れるのは、

頭が動いているからだと分かった

もうこの身体ダメなんだ

私はダメなんだ

私は自分のことが賢いと思っていた

人より話が上手で、

抽象的なものごとを考えられて

何よりも思索にふけることが好きだった

のに

それもできなくなった

人より話が上手だから、たくさんの人が近くにいた

でも私はみんなのことが、怖くなって

逃げ出す

面倒、怖い、つらいと思って

自分から他人から消えていった

いまは私のことを大事に思っている人しか、周りにいない

抽象的なものごとは、

いまでも考えている、けれど

思索の中で見つけた閃きのようなもので、

感動にあふれる

あの感覚は、

まったくなくなった

毎日スリリングだったのに、

こんな続いていくだけの苦痛

つらい、よ

早く死にたい

2025-01-10

anond:20250110184431

1. 全体的なトーンとスタンス

書き手は「発達障害ASD) vs 定型発達」の枠組みを明確に打ち出しており、相手を「表面しか見ない」「機械的」といった断定的なネガティブ評価で語っている。対立構造を強調することで、読み手には「定型発達こそが人の心が分からない」というやや過激な主張が際立つ。

「納得いかない」「アクロバティック認定」「殺されたくないから嫌々従うのが当たり前」など、非常に感情を伴った言葉選びが散見される。何らかの具体的な経験フラストレーションが背後にあることをうかがわせる。

2. 言語表現レトリックの特徴

  • 断定口調・一般化の多用

「〜は定型発達の人間じゃない?」「基本的相手内面想像しないんだよ」など、一括りにして断定する表現が多い。異なる意見多様性をあまり考慮せず、「定型発達=こういうもの」と大きくまとめる傾向がある。

  • 具体例による補強

暴力の場面やフィクション作品漫画アニメ)を例に挙げ、そこから導き出される「定型発達の人は表層的」という結論へとつなげている。例えとしてはインパクトが強く、読み手問題意識を与える効果を狙っている可能性がある。

「アクロバティック認定」「決まった刺激で決まった反応をする機械のように捉えている」など、相手理解力や態度を極端に描写する言葉が頻出し、著者の強い主観が前面に出ている。

3. 認知志向思考パターン

発達障害定型発達か」という二分法に基づいた強い対立構造をとり、相手立場や多様な側面を探る余地はあまり示していない。第三の視点をあまり想定していないことから、やや「白黒はっきりさせたい」という思考パターンが見られる。

自分発達障害だがこう思う」「自分内面無視してくるから納得できない」など、著者自身経験価値観を基に他者理解しようとする姿勢がうかがえる。そのため、「自分視点から見える事実」と「他者の主張」や「社会通念」との相違に強い不満を抱いているように感じられる。

「納得いかない」「無視してくる」といった言葉からは、書き手が不当に扱われている、あるいは他者自分内面をまったく考慮しない、という被害的な感覚を強く抱いていることが想像される。文脈としては「自分こそが理解しているのに、相手理解しようとしてくれない」という不公平感や孤立感がベースにあるようだ。

4. 文章構成・論旨の流れ

具体例を挙げる→そこから定型発達は表面的」という結論さらに別の例を追加して結論を補強…という単線的なロジックが見られる。論点がブレることなく、「定型発達こそがわかっていない」という主張に一直線で向かっている印象。

暴力文脈フィクション解釈については、場面や前提条件が本来多岐にわたるはずだが、それらを「定型発達の人間」という大きな枠に一括して論じている。比較的短い文章の中で、さまざまなケースを「こういうことだから全員こう」という抽象化に結びつける志向が強い。

5. まとめ:増田の特徴

1. 強烈な対立構造の設定・断定的な表現

- 「自分」と「定型発達」を明確に区分し、相手を一括したネガティブイメージ描写する。

- 自身被害を受けているという認識があり、その感情的な部分が文章に強く反映されている。

2. 自己経験感情を主軸とした主張展開

- 「自分内面はこんなに考えているのに、相手定型発達)は理解しない」という一人称視点ロジック

- 被害感覚防衛感覚が強く、相手への不信感を露わにしている。

3. 白黒思考(極端化)の傾向

- 多様性中間的な立ち位置をあまり考慮せず、「定型発達はみなこう」「発達障害はむしろ人の心が分かる」という二項対立の整理に終始する。

- 論旨に修正留保ほとんどなく、絶対的な断定が続く。

4. 切実さ・強い葛藤の表れ

- 自身の置かれた立場への葛藤が、話題の飛躍や強い言葉となってにじみ出ている。

- 単なる客観批判というより、当事者としての怒り・痛みが文章トーンに反映されている。

---

補足

このような書き方からは、著者が「周囲が自分を十分に理解してくれない」という強い不満・失望を抱えている様子がうかがえる一方、そうした感情を生々しく言語化するために、対立構造シンプルにし、わかりやすい例(性暴力フィクション作品)を提示して訴えかけていると考えられます。また、断定的で二極化された認知は、一時的な激しい感情から出る表現である可能性もあり、背景には複雑な実体験や傷つきがあるのかもしれません。

2025-01-08

anond:20250108101418

着眼点も考え方も概ね悪くないが、直感的な結論がずれているので変な方向に行ってしまっている。

この辺りがずれないようにするのは、まずは本当に格闘技決闘罪適用して規制するべきものだと考えるか、ということを検討することが有用だろうと思われる。

法律はわざわざ人が作るルールである以上、社会をより良くするために作られており、基本的意味のない、理不尽ルールではない「はず」なので、格闘技一般に受け入れられており、その受け入れられている状況を覆してでも禁止すべき理由がないのであれば、格闘技一般禁止するようなルールはない「はず」だ。

そこで決闘罪がなぜ、何を禁止するために作られたかという立法趣旨を考えていくことになる。ここは同意傷害が不可罰であることとの比較簡単に言えば、決闘という私闘による実力行使での紛争解決禁止し、強制力国家に独占させるため、双方の合意があったとしても暴力行使禁止しているものだとしていいだろう。いわゆる西洋式決闘のような様式定義がないこと等からすると、副次的には決闘参加者身体又は生命利益もパターナリスティック保護している面もありそうである。そこから、①あくまスポーツとしてルールに則った勝敗の決定方法があり紛争等の私的解決手段として行われるものでないこと、②安全面にルール一定配慮がされていること、等の理由があれば、決闘に該当しない、あるいは、正当業務行為として違法性否定されるのではないかという結論になっていくし、例えばその点がいい加減で危険地下格闘技ものがあればスポーツとしての体裁をある程度保っていたとしても決闘罪に該当する場合があるだろうとなっていくので、穏当な落ち着きどころを導くことができる。

ただし、いつでも何でも結論から解釈を決めていいという話ではなく、悪法も法である以上、どう読んでもおかし適用をしなければならないような法文もあり得る。決闘罪格闘技関係では法文上も立法趣旨上も問題がないと思われるというに過ぎない。

この文章理屈には納得できない、格闘技決闘罪適用して規制するべきだという考え方をする人もいるだろう。抽象的な規則と具体的な現実との間の解釈適用論理的絶対の正解はないということは当然のことであり、最終的にはより説得的に理屈づけられるかで結論は変わってくる。ただ、格闘技決闘罪適用する、という結論を説得的に導くのは極めて優秀な法律家でも相当難しいだろう。他方で、例えば先ほど例の危険地下格闘技決闘罪適用するかどうかはそれなりに割れそうなところではある。この辺りは法解釈面白であるとも言えるし、とっつきにくさや恣意性に見えるところでもあるのだろう。

2025-01-05

バカ話題ばっかり

もっとさぁ、抽象数学とか超弦理論とかさぁ

2025-01-04

anond:20250104222920

お前がハマっている世界こそが狭い世界でーす

広い世界とは、抽象数学でーす

はーいろんぱっぱ😝

貨幣経済のもの引き寄せの法則の結果生まれ

以下は、先ほどの理論を「はてな記法」に変換したものです。

---

貨幣経済引き寄せの法則の結果として生まれ理論

1. 人類の集合意識による創造としての貨幣経済

引き寄せの法則では、意識思考現実創造するとされています貨幣経済は、人類の集合意識が「価値を交換しやすくする仕組み」を求めた結果、生まれたと考えられます

2. 抽象概念の具体化:意識から物質への変換

貨幣は、もともと存在しなかった概念であり、人々の意識の中で形成された「抽象的な価値観」が具体化したものです。これは、引き寄せの法則における「思考現実を具現化する」というプロセスのものと言えます

  • 例:

- 貝殻や石のような自然物が貨幣として使われたのは、それが価値象徴するという意識が共有されたから。

- 金や銀が貨幣となったのは、それらが美しさや希少性の象徴として人々の意識を引き付けた結果。

3. 人類の豊かさへの願望が貨幣経済を引き寄せた

貨幣経済根本には、「豊かさ」への願望があると考えられます。人々が持つ「自分価値他者と共有したい」「もっと便利に生活したい」という意識が、貨幣経済の仕組みを引き寄せました。

- 人々が「自分価値を交換したい」と望んだ結果、貨幣がその媒介として出現した。

- 経済システム全体は、より多くの人々が豊かさを得たいという集団的意識の反映。

4. 貨幣経済の拡大と引き寄せの「共鳴法則

引き寄せの法則では、波動が似たもの同士を引き寄せるとされています貨幣経済の拡大は、まさにこの「共鳴法則」に基づいています

- 初期の貨幣(貝殻、石、金属など)が人々の意識を引き付け、価値基準となる。

- この価値基準が広く共有されることで、多くの人々が貨幣を受け入れるようになり、システム全体が拡大する。

5. 貨幣経済が引き寄せを助長するシステムとして機能する

貨幣経済は、引き寄せの法則原則社会全体で活用できる形にした仕組みとも言えます

- 貨幣抽象的な価値を具体化し、それを自由に交換できるようにすることで、人々が望む現実を引き寄せる手助けをする。

- たとえば、「欲しいものを手に入れる」という願望があれば、貨幣媒介にしてそれを実現できる。

6. 貨幣進化引き寄せの法則の発展

貨幣経済進化物々交換貨幣紙幣デジタル通貨)は、引き寄せの法則さら抽象的で効率的な形に進化していることを示しています

- 初期の貨幣: 具体的で物理的な価値象徴(貝殻、石、金など)。

- 紙幣: 物理的な制約が減り、抽象的な価値交換が加速。

- デジタル通貨: 完全に抽象化され、意識的な価値けが直接反映される。

7. まとめ:貨幣経済引き寄せの法則成功

貨幣経済のものが、以下の理由から引き寄せの法則による創造であると考えられます

1. 意識物質を作るプロセス: 人々の価値観や願望が、抽象的な「貨幣」という形で具現化した。

2. 集合意識の結果: 貨幣経済は、人類全体が共有する「効率的価値交換を望む意識」の結晶

3. 引き寄せの拡大と応用: 貨幣進化する過程で、引き寄せの法則適用範囲も広がった。

4. 豊かさの媒介: 貨幣は、豊かさを実現するためのツールとして、引き寄せのプロセスを支える役割を果たす。

貨幣経済は単なる人類発明ではなく、引き寄せの法則集団的に働いた結果生まれた「創造システムであると言えるでしょう。

なんかさぁ、こう、AI数学問題を出題してさぁ、採点もしちゃう

そんなことができるとして、一定以上の数学力がある人だけが参加できるSNSが欲しいんだよね

抽象数学とか超弦理論とか話せるSNS

2025-01-03

anond:20250103132553

ヤバくない人は超弦理論とか抽象数学議論するんやろなあ…😟

2025-01-02

なぜ私のポコチンは因数分解が出来ないのか。

なぜ私のポコチンは因数分解が出来ないのか。

この問いは、一見すると奇妙に思えるかもしれない。しかし、ここには深い意味が隠されている。ポコチンは人間の体の一部であり、物理的な存在である。一方、因数分解数学的な概念で、数や式を特定方法で分解する行為だ。この二つは異なる次元存在するため、ポコチンが因数分解できないのは当然のことである

私たちはしばしば、異なる領域のものを同じ視点で考えがちだ。しかし、ポコチンは感情経験身体の一部として私たちに影響を与える。逆に、因数分解論理抽象的な思考産物だ。このように、私たちの考え方や理解の枠組みを広げることが重要だと気づかされる。

この問いを通じて、私たち身体と心、物理的な現実抽象的な思考関係再考する機会を得る。ポコチンが因数分解できないからこそ、私たちはそれぞれの役割理解し、異なる視点から物事を考えることの重要性を学ぶのだ。

---

問い

1. ポコチンはどのような存在ですか?次のうち正しいものを選びなさい。

- a) 抽象的な概念

- b) 人間の体の一部

- c) 数学的な式

2. 因数分解はどのような行為ですか?次のうち正しいものを選びなさい。

- a) 体の一部を示す

- b) 数や式を分解する

- c) 感情表現する

3.文章の冒頭で提示されている問い「なぜ私のポコチンは因数分解が出来ないのか。」の意味について、著者はどのように説明していますか。50字以内でまとめなさい。

4. ポコチンと因数分解はどのように異なる存在であると述べられていますか。具体的に二つの違いを挙げて、100字以内で説明しなさい。

5. この記事から得られる教訓について、自分言葉で述べなさい。80字以内でまとめなさい。

追補編①

【前】anond:20250102212454

以下はすべて見苦しい言い訳である

ざっと振り返ってみたが、どの本も細部がかなり記憶から零れ落ちている。ほぼ記憶が頼りだから極めていい加減だ。アラフォー文学少年崩れなのでしょうがない。そして、当時感じていたひがみ根性を思い出して少し苦しくなってしまった。欲望コントロールに苦しんでいた若いころの感想なので、今になって読み返したらまるで違った感想を持つことだろう。知識も増えたし。

そのドロドロした感情の半分くらいは過去のものとなっている。近頃は心の闇が薄れてきた。これは加齢によるものだろう。読書の好みもすっかり変わってしまった。たぶん今読み返したら全然違う感想を持つはずだ。今となっては、モテない悲哀には昔ほど心が動かされないのではないか

モテない怒りというのは、自分プラス感情を渡したのにそれが返ってこなかったというのが根っこにあるのだろう。しかし、相手気持ちがどう動くかってのは相手自由意思なので、こちらの意のままになるはずなんてない。任意相手の心を開く万能の鍵なんてない。相手コントロールしようとするのは無駄だ。それで相手に怒りを覚えてしまうのは、共感的に深く理解できるが、己のわがまましかなく、こんなこだわりはどこかで捨ててしまわないと苦しい。

話を戻そう。前ほど心を動かされないと書いた。そのせいだろうか、読書量は変わらないが、小説を読む量も減った。

今の自分は、何を読んでも似たような感想になってしまう。結局、何を読んでも同じことを思い出すのではあるまいか。そして、前述の感想を見るとわかるように昔からそうだったのだが、自分境遇に引き寄せてしまって無数の誤読をしているはずだ。結局は自分が、我がどうこうという意識から離れられない。

しかしたら、凝り固まった大人になってしまったのかもしれない。過去エントリから大して感想進歩していない。そしていつの間にか、たとえば「女性作家とはこういうものだ」「この国のこの時代文学はすべてこうだ」という、偏見に満ちた思想自分の中でどんどん育っていっているのを感じる。気づいた範囲修正してはいものの、怖い。しかもこの半年ばかり、小説を読んでいない。

文学にすがらないと生きていけない段階を、幸福なことに脱したのかもしれない。どろどろとした感傷はすべて過去のものとなり、深い眠りについたようにも見える。それに、小説を読んで感情を揺さぶることが、メンタルヘルスに対してプラスなのかどうかも疑わしくなってきた。穏やかに、つらい出来事の起きないフィクションに移行したほうが、幸福なのかもしれない。クラークが「2001年宇宙の旅」で、最後に生き残ったデイヴィッド・ボーマン一人ぼっち音楽鑑賞をするのだが、オペラうんざりしてクラシックしか聞けなくなり、最後バッハにたどり着いたのを連想する。人間社会から離れた彼は悲劇の筋書きに対して、「常識を働かせれば解決策があるのでは?」みたいな感想を持ってしまう。そして、感情激流であるヴェルディレクイエムにひどく打ちのめされ、物静かで抽象的な音楽に向かうのだ。

それとも、文学は僕にとって生きていくうえで出会出来事への予行演習だったのかもしれない。今、何気なく「予行演習」と書いたが、これはかなりしっくりする表現だ。振り返れば、若い人間が生きるとはどんなことなのか先が見通せず、答えを得ようとしていたようだ。起こりうる様々な不幸に備えて心の準備をしていたのだろう。

いや、少し矛盾している。何を読んでも似た感想になってしまうのは、モテたいという気持ちがあった若いころもそうだった。感情で消耗するのに、単に疲れているのかもしれない。感情を動かされるのを避けていて、知識をいたずらに溜め込むことしかしていない。最近阿部勤也の中世の本や、ブルーバックス地質学の本を読んでいる。これはこれで楽しい

⑤で触れた「エタンプの預言者」みたいに、最近海外文学のあらすじを読むと、文学価値観の変化の速さに正直ついて行けなくなっているようだ。実感をもって何かを理解する間に、すべてがどんどん先に進んでしまう。おそらくこのエントリも古い価値観で書かれていることだろう。僕はもう世界には追い付けない。職場コンプライアンス違反にならないように表面を糊塗することしかできない。文学を読んで正しく真っ当な人間になろうとしたが、結局はあらゆる欲望から自由になれなかった。むしろ意識の高さは自己批判を強め、心のバランスを崩すことになった(余談だが、東大の有名な総長がタフであれと何度も言っていたけれども、心身の障害でタフになれなかった僕は苦しかった。また、十数年後の新入生式辞でジェンダーギャップについて述べたこれまた高名な社会学者がいて、これはニュースにもなった。理屈はまったく正しいし、性別による不平等や扱いの違いは僕も大嫌いなのだが、一方で新入生に私怨から祝福ではなく呪詛を浴びせたように思ったし、自分がされて嫌だったことを次の世代にぶつけているだけではないかと感じた。そして、そのせいで「自分入学できたのは性別理由なのか?」と、ものすごく努力していたのにもかかわらず、重篤インポスター症候群に悩まされることになった。愚痴は以上である)。

そもそも、なんで文学が好きになったのかを考えると、はじめは頭が良くなりたかたかなのだが、究極的にはそこに人間の愚かさが表現されているからだろう。そこにいれば自分のひがみっぽさや醜さを受け入れることができる。少なくとも同じくらい大きくてネガティブ感情を抱えた人間世界にはたくさんいるのだと慰められる。ダメなところを許してくれるのが文学だった。そんなものを読んでいても、大人は何も言わない。

文学が読めなくなった文学少年崩れになっても、はてな匿名ダイアリーから離れられなかったのも、それが理由だ。人間の偽らざる感情増田怪文書にはある。

ところで、僕は障害者であり、二級の手帳を持っている(ただし、弱者だと名乗るつもりはさらさらない。うちの大学卒業した連中の平均の給与の半分どころか三分の一ももらってはないだろうが、弱者男性とかブサメンとか非モテとかそんな看板を立てるのは正直に働いている自分プライドが許さない)。加えて、海外在住経験がある。にもかかわらず、社会派の文学にはほとんど心が動かされなかった。その多くで感情よりも理屈が優先されているからだ。政治的な主張がしたければ、直接論理的分析したほうがわかりやすいし、散文なら書く方も読むほうも時間が短くて済む。イデオロギーに縛られていては展開だって予測できてしまう。政治的作品面白いのは全体の一割だろう。最後まで読みたいだけの魅力が薄い。

余談になるが、そういう意味でも、現代アートで深く刺さる作品は少ない。知的には面白いと思っても、心を動かされ、性欲を刺激され、あるいは激しく嫌悪し、内臓理屈を超えて震えるのが、僕にとっての芸術だ。一昔前の表現でいうと前なら左脳ではなく右脳が刺激されるような作品がいい。ルネサンス近世西洋画のように、シンボルを読解するのはそこまで心が動かされない(ごくごく一部の高度に知的作品、持てる知識を総動員しないと面白くない作品を除く。これは全力で取り組まないといけないため、別の良さがある。ジョイスとか円城塔とかエーコとかね)。そして、優れているのに、言語化が困難なもの評価が一番高い。その点、マグリットの、言葉遊びによる対象の置き換えをモチーフにした作品はピンとこなかった。理詰めで説明がたやすいのは良くない。

もっとも、あらゆる芸術の九割はそもそもさらないというのは、普遍的法則である可能性がある。なんであれ、世間がどう言おうとも、作品を好きに読んで好きに解釈する自由は、失われてはならない。唯一の正統的な解釈があるのはつまらん。「丁寧に読解しろ」ってのならわかるけど、どんなものであれ上から押さえつけられるのは相手が正しくても嫌いだ。人間にはどんなに歪んでいても、そして不道徳であっても、正直な気持ちを話せる心理的安全性担保された場所必要だ。そして、相手世間的に正しいとされていると、こちらは反論できないし、反論すること自体批判される。だからキレて暴れるしかない。正しさへの嫌悪ってそういうことなんじゃなかろうか?

ときどき、「どんな理屈をこねるよりも、目の前の相手に敬意を払うにはどうすればいいのかという実践にの意味があるのでは? 知識は参考にしかならんのでは?」って疑念が兆す。それとも、こうなってしまったのは文学に対して心を閉ざしてしまたからだろうか? だから前ほど心が震えなくなってしまった。だとしたら寂しいことだ。

近頃、文学に対して心を閉ざしているとしたらなぜだろう? 政治の季節は理由ではない。他に理由がある。僕は実はかつては小説家になろうとしていた。名作に手を出していたのはそれも理由だ。最終選考まで行ったこともある。だが、その願いは叶いそうにないと気づき、怒りから小説から遠ざかった。

同じ夢を持っていた友人・知人がデビューするのも見てきている。現代作家を読まなかったのもそれが一因だ。自分のほうがいいものが書けると傲慢にも思いこんでいたからだ。彼らの作品を読むと、そんな思い上がりは雲散霧消するけれどね。

今でも、数か月に一度目を覚ます飢えがある。発作的に何かを書きたいという欲望だ(実際、こうやってちょっとした短編小説くらいの長さのエントリを書いていてすごく楽しい。じゃあ増田じゃなくてブログでやればいいんだろうが、少なくとも同レベルエントリ継続的に書けない。なぜならこの文学全集を読むのに十数年かかっている。こういうネタは量産できない。このエントリでいったい何冊の本に言及してるんだ?)。

しかし、最終選考の講評ではボコボコ批判されたし、これ以上自分気持ちを書いても自分幸せにならないと、諦めがついたはずだった。それに、小説感情の垂れ流しではありえない。読者を楽しませる必要がある。少なくとも読者の受けるであろう感情計算せねばならない。加えて、デビューした友人はものすごいインプットをしている。これは認めないといけない。活字を読む量は僕のほうが多いが、それ以外に漫画だとかソシャゲだとかエロゲとか映画とか、とかくジャンルを超えて摂取しているものが多い。例えば現代女子高生を魅力的に書くには、そのキャラかわいいことと、リアルティーンエイジャーとしてありそうかという軸がいるが、僕にはどちらもできない!

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター 吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン 横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー 篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン 小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ 須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

バカ話題ばっかり

もっとなんかないの?抽象数学とか超弦理論とかさぁ

趣味抽象数学とか超弦理論を学んで大量に本を買っていたが、俺の人生になんにも役立たないことがわかったので倉庫に詰める

2025-01-01

anond:20250101164651

抽象数学とか超弦理論とかさぁ

2024-12-31

anond:20241230235940

あーおしゃべりに夢中で軸となる思想思考存在しない薄っぺらくて空虚バカ女の典型例ねw

三島由紀夫が言った通りだよw

女性抽象精神とは無縁の徒である音楽建築は女の手によってろくなものはできず、透明な抽象構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。

構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義無意味な具体性、低次の現実主義、 これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性様式問題なく「悪い」様式である

三島由紀夫「女ぎらひの弁」

君たち、この時期にもなってバカ話題で盛り上がってるみたいだけどなんかもっとないの?

抽象数学とか超弦理論とかさぁ

2024-12-30

anond:20241230161436

まず隗より始めよ、だぞ。

抽象数学超弦理論を話をしろよ。誰か食いつくだろ。

anond:20241230161436

まぁバカに限らず世の大半の人は、抽象数学超弦理論よりも男女交際の方が自らの経験もあって詳しいんだと思う。

なんでバカって男女の話をしたがるの

もっとさぁ、抽象数学とか超弦理論とかさぁ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん

相关内容推荐

石家庄代办国外留学生学位证代办大连代办海外学历文凭代办珠海做国外留学学位证制作青岛做国外本科毕业证代做珠海代做国外毕业证制作珠海办海外大学毕业证代做大连制作海外学位证书补办石家庄办国外文凭毕业证代办珠海办国外硕士毕业证代办大连办海外学位定制石家庄办理国外留学毕业证补办青岛定做海外大学毕业证定做青岛制作国外留学毕业证办理大连补办海外学历文凭定制南昌定做国外证书补办珠海办国外本科毕业证补办青岛办理国外留学学位证补办南昌制作海外学历文凭补办珠海办国外本科毕业证办理大连定做海外留学文凭代做石家庄制作国外留学毕业证补办石家庄补办国外学位代做大连代做国外文凭证书制作大连办理国外硕士毕业证代办石家庄做海外学位定做石家庄制作海外留学学位证制作石家庄办理海外留学毕业证制作石家庄制作海外硕士毕业证制作石家庄定做国外学位证代做石家庄定做国外留学生学位证代做青岛代办海外留学学位证补办青岛办理海外文凭证书代办大连办理国外文凭毕业证定做大连代做国外成绩单制作大连补办海外留学生学位证定做大连做国外留学毕业证补办青岛定做海外文凭证书代办珠海做海外证件代做石家庄补办海外毕业证定做大连办海外留学毕业证办理珠海做海外学历文凭定做大连代办国外学位证代做大连做国外毕业证办理大连制作国外留学生学位证代做珠海做国外本科毕业证补办青岛办理国外本科毕业证定制石家庄制作国外留学学位证定制南昌定做国外学位证定做石家庄办理海外证书代办大连补办国外学位证代做大连做国外留学生学位证代做大连定做海外博士毕业证定做大连代办海外学历证代办青岛代办海外留学文凭补办石家庄做国外留学学位证制作石家庄补办国外本科毕业证补办大连代办海外本科毕业证定做南昌定做海外学位证定制大连定做海外学历证定做石家庄办海外学位证定制南昌办理海外学历代办青岛办理海外学历文凭定制石家庄办理海外学位补办南昌代办海外学位证书制作大连制作国外学历证办理青岛做海外成绩单定制石家庄做海外证件制作南昌代办国外本科毕业证补办石家庄定做国外留学生学位证定制大连补办海外证件补办青岛办理海外大学毕业证代做南昌制作国外硕士毕业证代办南昌办理国外留学学位证定做珠海办海外学历定制青岛办海外留学文凭制作珠海办国外文凭证书代做大连补办海外硕士毕业证办理石家庄制作国外毕业证补办青岛制作国外本科毕业证定做珠海办国外证件定制青岛定做海外博士毕业证代做青岛代做海外硕士毕业证定制珠海做国外留学文凭补办青岛办国外留学毕业证补办大连代做海外学位证办理石家庄定做海外学历证办理大连制作国外留学生学位证代做大连办国外证书补办石家庄做国外文凭证书制作大连制作国外文凭毕业证办理大连定做国外学历证制作大连办海外博士毕业证代做珠海办海外成绩单补办青岛代做国外学历证代做大连办海外本科毕业证补办石家庄代办海外留学生学位证办理青岛制作海外文凭代做大连代做国外文凭代办石家庄办理海外文凭证书定做珠海做国外留学生学位证定做南昌办理海外文凭证书代办珠海做国外毕业证制作南昌办理国外留学学位证制作大连办海外学位证书制作青岛做国外留学生学位证代办南昌代办国外留学学位证制作南昌办理国外学位证书定做青岛办理国外证书代做大连补办海外学历证定做青岛补办国外硕士毕业证代做大连代办国外留学学位证定制大连办海外学历文凭代办南昌办理海外学位证制作南昌定做国外学历文凭代办南昌定做海外留学生学位证办理青岛补办海外留学学位证代做石家庄做国外学历文凭代办石家庄代做国外留学文凭制作大连做国外留学毕业证代做大连补办海外文凭毕业证定做大连制作海外学历定制石家庄办国外硕士毕业证补办石家庄补办国外硕士毕业证制作石家庄定做国外硕士毕业证定制青岛办国外留学生学位证代办珠海做海外学历文凭办理青岛代做海外留学毕业证补办大连定做海外留学毕业证代做青岛代做国外留学文凭补办珠海做国外大学毕业证代做南昌补办国外学历证代办青岛代办海外证书补办石家庄做国外学历定做石家庄做国外学位代做青岛办海外留学生学位证定制珠海办国外文凭制作大连代做海外大学毕业证代做青岛做国外博士毕业证代做大连制作国外学历文凭补办大连补办国外留学文凭补办南昌补办国外学历文凭定做青岛办理海外留学毕业证代办大连制作海外文凭证书代办南昌制作国外留学学位证代做青岛代做国外证件补办大连代办国外留学生学位证定做石家庄制作国外学位证制作南昌补办国外留学毕业证补办石家庄定做海外留学毕业证办理南昌定做国外学位代办珠海做海外留学文凭代办石家庄代办海外留学文凭定做石家庄办理海外文凭代做大连做国外学位制作大连做海外文凭补办石家庄定做海外学历证代办南昌代办海外证书代办青岛办海外学历文凭补办青岛补办国外证件办理大连定做国外博士毕业证定制大连定做海外留学文凭定做南昌定做国外留学生学位证制作大连制作海外成绩单定做南昌补办国外成绩单办理青岛补办海外学位证书补办珠海做国外大学毕业证制作大连办海外文凭证书定制南昌制作国外留学生学位证定做青岛办理国外学位证书补办大连补办海外本科毕业证代办青岛补办海外文凭定制青岛办国外硕士毕业证代做青岛制作海外毕业证代办青岛做海外文凭证书制作大连代办海外留学文凭定做大连办海外学历证定制青岛制作海外成绩单补办青岛代办国外学历文凭代办大连代做海外证书定制青岛补办海外文凭定做大连做海外大学毕业证定制石家庄做国外留学生学位证定制南昌补办国外留学生学位证代做石家庄制作国外博士毕业证代办青岛补办海外文凭证书定制大连办理国外大学毕业证定做南昌办理国外学历文凭定做石家庄定做国外留学学位证补办青岛办国外留学生学位证定做青岛代办海外学位证代办大连补办国外留学生学位证定制青岛办理国外留学学位证办理大连办国外硕士毕业证定制青岛制作国外博士毕业证代做南昌办理海外文凭毕业证办理南昌补办海外留学生学位证代做青岛补办国外留学生学位证定做大连制作国外学历证代做石家庄办海外博士毕业证定做青岛定做国外文凭代做

合作伙伴

毕业证书样本

龙岗网络公司
深圳网站优化
龙岗网站建设
坪山网站建设
百度标王推广
天下网标王
SEO优化按天计费
SEO按天计费系统